会社の歴史を語るうえで創業者の生い立ちは重要な要素となります。そこで、まずはエクセンの創業者である林茂木についてご紹介しましょう。...
32歳。人生にも仕事にも活力がみなぎっているこの時期に自分の会社を立ち上げた茂木だが、資金があったわけではない。...
昭和9(1934)年、大倉商事は国鉄信濃川発電所建設工事に使用するため、フランス製のエアー式バイブレーターを輸入した。...
創業者、林茂木が昭和9(1934)年に信濃川発電所建設工事で出会ったフランス製のバイブレーター。...
軍需産業に関わらざるを得ない状況、徴兵で減っていく従業員。わずか5名にまで減った林製作所がさらなる試練を迎えたのは昭和20(1945)年5月25日のことだった。...
昭和23年(1948)10月。戦後第1号機として製造番号2301~2303の空気式3A型機3台を佐世保のドッく改修コンクリート打設用として...
昭和25(1950)年、第二次信濃川発電所建設のためのバーブレータを、国鉄から受注したニュースは会社を大いに盛り立てた。...
昭和30(1955)年、日本は朝鮮特需による神武景気に沸いていた。それまで引きずっていた戦後という表現は消え、昭和33(1958)年からの岩戸景気にも...
昭和35(1960)年、池田内閣が打ち出した所得倍増政策と高度経済成長が重なり、国内での大型工事は急増し、コンクリートバイブレータの引き合いはさらに増大していた。...
コンクリートバイブレーター専業メーカーとしての地位を築いた林製作所は、次々に舞い込む注文に応じるため、フル稼働の状態が続いていた。現場の規模・場所・型枠やスランプ・打設方法など、...
前章で触れた、電気式ダム用バイブレーターのHIBは、昭和43(1968)年にHIB130として世に送り出され、好評を博した。従来のダム用バイブレーターがエアーを原動力とし、...
大型機械もこの時代に新製品として出している。とくに注目を浴びたのは、昭和48(1973)年に世に送り出した、バイバックVB-2/3だった。これはダム用バイブレータのHIB130を...
第一次オイルショックから立ち直り、業績も回復。さぁ、これからさらなら発展をと全社員の士気が高まっていた昭和53(1978)年。創業者であり、林製作所社長/林バイブレーター会長の林茂木が...
昭和50年代後半は、新たな分野への挑戦に取り組んだ。たとえば、昭和55(1980)年には、6機種のコンクリートカッター。昭和58(1983)年には切れ物シリーズとして、ダイヤモンドドリルも6機種販売開始している。...
平成3(1991)年、エクセンに社名変更したばかりの新社長に、三代目の林秀一が43歳で就任した。二代目義郭の急逝にともなうものだったが、社内に大きな動揺が走ることはなかった...
昭和50(1975)年頃まで、草加工場での在庫管理は、よく言えば昔ながらの手法。悪く言えばどんぶり勘定な面があった。品目コードを付け、番号で管理することを提案しても、ベテラン職人ほど受け入れは悪かった...
平成3(1991)年、さまざまなアイディアとリーダーシップを発揮してきた三代目社長が就任した頃、会社は大きな波に飲み込まれようとしていた。いわゆるバブル崩壊である...
バブル崩壊後の不況は長く続いていた。国内消費の落ち込み、公共投資の激減、建設業界にとって長く暗いトンネルの時代が続いた。苦渋のリストラも実施し、さらなる生産体制の効率化をはかるため、...
平成27年11月27日。エクセンは創業100周年事業のひとつとして、東京都千代田区のホテルニューオータニに、エクセン社員一同、そして大勢のOB、OG、仕入先の方々にも足を運んでいただき、...
エクセンでは、次の100年を見据えた取り組みが行われている。その陣頭指揮を執るのは、現副社長の林哲平であり、時期は未定ながら、彼が4代目を継ぐことは業界でも周知の事実である...