エクセン物語

初代茂木逝去。バイブレーター以外の分野へ進出

エクセン物語 第2章
第7話 : 初代茂木逝去。バイブレーター以外の分野へ進出

 第一次オイルショックから立ち直り、業績も回復。さぁ、これからさらなら発展をと全社員の士気が高まっていた昭和53(1978)年。創業者であり、林製作所社長/林バイブレーター会長の林茂木が93年の生涯を閉じた。これにより、二代目の義郭が林製作所社長に就任。
同時期、草加工場の第三期工場建設を決定し、
・合理化設備による革新的生産システムの確立
・徹底した省人化
・安全で快適な作業環境
という、3つの基本方針を掲げ、達成の為の建設委員会を社内に設置。 各方面からの意見を集め、昭和54(1979)年11月、運動会などの思い出が詰まったグランドに 新工場を完成させた。

 機械・組み立ての本工場の広さは2940㎡、その隣の特注工場と材料庫は870㎡。 NC旋盤や数多くの新鋭機械を導入し、組み立て工場は多品種少量生産に対応した 組み立てラインを自社開発。作業環境の快適化を図るための冷暖房装置も導入し、 加工精度の向上も実現。また、旧工場には自動ラック倉庫を設置し、物流棟として 新工場との間に無人搬送車を走らせた。結果、在庫管理の徹底と省人化を図ることができ、 低成長時代に入っても持ちこたえられる、体力のある生産体制を作り上げたのであった。

 新工場の完成と前後し、新たに盛岡、新潟、金沢、鹿児島、北関東、横浜に営業所を開設した。 これで2支店13営業所体制となり、東日本、西日本にそれぞれ統括長を置く販売体制を構築。 さらに昭和57(1982)年には物流管理センターを設立。これまで各営業所で在庫していた 製品・部品をセンターで集中管理し、取引先への直送方式に変更した。
本丸である浜松町の本社も、昭和58(1983)年に建て替え、現在の5階建て本社ビルが完成。 短い間に会社は大きな変化を遂げていった。

 生産・販売体制の急速な拡大で、社員の忙しさはかなり増した。新卒の社員を定期採用しても、 各人のやるべきことは山積み。なかなか追いつかない。とくに新たな営業所に配属された ベテラン・中堅社員たちは、毎晩のように帰宅が遅くなったという。中にはあまりに帰宅が 遅い日々が続いたあまり、幼い子供から「父さん、また来てね」と真顔で言われた とのOBの話も......。そんな、モーレツ社員たちの逸話が数多く残っているのもこの時代で あった。

 同時期、産業機械への進出を図ったことも会社にとって重要な意味があった。順調な売り上げが あったとはいえ、建設機械だけ、バイブレーターだけに頼らず、「揺さぶる技術」を 産業機械分野にも展開するべく、ブラスターやノッカーなどのフローエイドシステムへの 製品開発を始めていった。そして昭和58年には本社内に新組織、産機営業部を新設。 新たな道への挑戦が始まった。