甦ったバイブレータ
エクセン物語 第2章
第1話 :甦ったバイブレータ
昭和25(1950)年、第二次信濃川発電所建設のためのバーブレータを、 国鉄から受注したニュースは会社を大いに盛り立てた。
「バイブレータが甦ったぞ!」
オヤジ(初代社長茂木)以下、10名のエキスパートは夜を徹して製作に取り掛かり、 無事納入にこぎつけた。そしてこの秋から、当時としては大プロジェクトと呼ばれる
コンクリート打設が始まった。ハヤシの仕事はこれだけでは終わらない。今の日本でバイブレーターを生産しているのはハヤシだけ。その使い方をはじめとした講習や修理に方法も含め、直接現場に赴き、実践、指導を行う必要があったのだ。もちろん、この時代は現代のような交通網も発達していない。
結果、ハヤシの精鋭は満員で立錐の余地もない夜行列車に、リュックサックとミカン箱に 詰め込んだ部品を担ぎ、上野駅から十日町駅へ。季節は真冬。東京なら「寒い」のひと言で
済むものの、降り立った場所は豪雪で知られる地域。現場はここからさらに山奥へと1時間も 歩かなければならないうえ、猛吹雪が吹き荒れていた。あまりの状況に精鋭部隊も気力を失い
かけた。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。状況を見かねた現場の機械主任の恩情により、本来人が 乗ってはいけないことになっている、セメント袋と仮設材のみを運搬する索道で運んでもらう
こともあったというが、毎回うまく事が運ぶはずもない。誰の助けも得られず、降りしきる雪の中、 部品を入れたミカン箱をスキー板に固定しロープで引っ張りながら16キロの道のりを歩き続ける
こともあった。
現場に着いたら着いたで、すぐに帰るわけにはいかない。鼻水を垂らしながら機械工場での修理や 技術講習も行ないながらの飯場暮らしが続く。食事は麦が7分に米3分。娯楽などあろうはずもなく、厳しい冬山のなか、ひたすらバイブレータが円滑に作業してくれることを願いながらの苦労は 続いたのであった。
この時代、日本は国土建設の第一歩として電力需要の必要に応じて各地で発電所用ダムの建設が 始まっていた。主なものをあげると
昭和22年 新潟県 三面ダム
昭和25年 九州電力 宮崎上椎葉ダム、中部地建 岐阜丸山ダム
昭和26年 関東地建 藤原ダム
昭和27年 中部電力 朝日ダム
昭和28年 北海道電力 糖平ダム、佐久間ダム
などがあり、大型機械化工法とあいまってバイブレーターもその性能向上を要求されるように なっていた。そこでハヤシは特許の「377017型」を完成させ対応。
「ダムコンクリート打設はハヤシ」と評価され、業界ナンバー1の地位を確保したのであった。
