エクセン物語

会社にコンピュータがやってきた

エクセン物語 第3章
第1話 : 会社にコンピュータがやってきた

 平成3(1991)年、エクセンに社名変更したばかりの新社長に、三代目の林秀一が43歳で就任した。二代目義郭の急逝にともなうものだったが、社内に大きな動揺が走ることはなかった。むしろ、また何か新しいことをしてくれるとの期待が大きかったという。なぜなら、秀一は昭和49(1974)年の入社以来、会社の近代化を推し進めるリーダーとして実績をあげていたからだ。その最たるものが、コンピュータの導入だった。苦労は大きかったものの、後の会社の礎になる重要な改革のひとつだった。そこで、第三章ではまず、少し時代をさかのぼり、秀一の手がけた社内改革について触れておこう。

 第二章の6でご紹介したように、秀一が入社したのは昭和49(1974)年、25歳の時だった。しかし、会社とのかかわりはもっと古く、高校時代には蒲田工場で塗装のアルバイトをするなど、跡取りとしての自覚はすでに持っていた。そして、大学(慶應義塾大学)卒業後は二代目義郭の指示に従い、広島の協力会社で「他人の釜の飯を食う」修業を2年9か月。最後の3カ月は自衛隊で心身を鍛えるという経験も積んだ。
 入社して最初に驚いたのは、毎月末になると、そろばんや機械式計算機を使いながら事務処理をしていたことだった。大量の手書き書類があるため、毎月この時期は残業が続いていた。草加に工場を作り、近代化の波に乗っているかのように思えた会社でも、手作業で経理をしていることに秀一は驚いた。こんなことではいけない。もっと効率のよいやり方をすべきだ!
 頭に浮かんだのは、大学時代にかじったコンピュータだった。といっても、実は法学部卒なので、授業で学んだわけではない。何となく興味があり、他学部の講義に潜り込んで得た知識が役立ったわけだ。また、高校と大学で親しんできたグライダー部でも、飛行に関する計算など、常に理系的な思考をしてきたことも影響していただろう。すぐに社長に掛け合い、予算を確保してシステム室を創設。同世代の若手社員とふたりで、コンピュータ導入の準備を開始。1年後には、当時の最先端であったオフコン(オフィスコンピュータ)、IBM system/3 model8を導入した。昭和50(1975)年頃のことである。
 
 しかし、導入したからといってすぐに稼働させられるわけではない。そもそも、取り扱い説明書が英語のみ。これを訳しながら、自社の環境に合わせたプログラム作りなど、全て手作業。コンピュータをどう動かすかの論理の組み立て方も、ベテランの社員たちに在庫の管理について質問を繰り返しては模索する、地道な作業の連続だった。
 一方、質問された側の社員たちは、その意図がまったく分からない。あの若いふたりは部屋に閉じこもって、いったい何をしているんだ? そもそも、コンピュータで何ができる? これまで通り「そろばんで計算し、紙に書いて、帳簿を残しておけばいいじゃないか」との考えが主流で、直接口には出さないものの、大きな予算と時間を割いてまで取り組むべき仕事と理解されなかった。