アラスカクラブとはなにか?

2010年旅行記 なんと!国境の島探訪

クラブページの更新は年に一度になってしまいましたが、アラスカクラブの名に似ずに、今年の旅行は越後屋さんの発案で西方の島、長崎県は対馬を探訪となりました。

松本路線も開設になりFDAで大忙しの蓬莱機長と他界した益一に替わって弟の大村高ちゃんは、残念ながら仕事のやり繰りがつかず、今年も「越後屋~ お代官様~」の凸凹コンビで旅行です。

なんで対馬へ? いやぁ よう判りませんが、2003年のサハリン、2005年の利尻、礼文以来「島」には行ってなかったからかな?

島といえば欠かせないバイブル 日本離島センター発行の日本島ガイド「シマダス」の対馬島(つしまじま)紹介から引用させて頂きますと
「福岡市から壱岐を経て147kmの海上に横たわる国境の島。韓国釜山からは朝鮮海峡をへだてて49.5kmの位置にある。もともと南北ひとつながりの島だったが、江戸時代に大船越地峡を、明治時代に万関地峡を掘り割って、現在では南北2島に分かれている。
全島の約90%が標高300~500mの山地となっており、原生林を含む山林で覆われている。
ツシマとは津(港)の島という意味で、原始・古代以来、大陸の文化を伝える窓口として交通の要衝となっていた。古代律令制では1国を形成し、国府・国分寺も置かれた。
室町時代以降、宗氏が島主として永く支配し、鎖国以後は朝鮮との外交・貿易を宗氏の対馬藩が独占するなど特権を保ち、朝鮮通信使の受け入れにもあたっていた。明治中期から要塞地帯となり、島内各所に砲台などが簗かれ、第2次大戦後まで立ち入りの自由を制限されていた。
昭和の大合併以来、上対馬・上県・峰の北部3町で上県郡、厳原・美津島・豊玉の南部3町で下県郡を形成していたが、平成16年3月1日を期して2郡6町が合併、1島1市の対馬市が誕生した」


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とまぁこういう島を目指して酷暑の東京羽田から全日空機は福岡目指して離陸してゆきます。
 島に渡るには船でなくてはナラヌ(本当は航空便もあるんだけど)と、福岡の港から九州郵船のジェットフォイル「ヴィーナス号」に乗船。壱岐郷ノ浦港を経由して約2時間の船旅で厳原港に到着です。
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軽自動車のレンタカー屋のおっちゃんから「もし満タンで返してくれなかったら、走行1キロ当たり20円の罰金」てな、優越的取引に抵触しそうな、しかし免許証のコピーひとつ取らないという いかにも島らしい説明を聞いて、まずは昼めし。
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とにかく行き当たりバッタリの旅なんでここで初めて地図を広げ、本日は南島を制覇することに決定。
第一攻撃目標を島の南端 豆酘(つつ と読みます)にある「美女塚」におき(地図の名所説明に「豆酘に生まれた美しい孝行娘「鶴王午前」はこの坂道で自ら命を絶ったという悲しい伝説」と書かれてあっただけの理由ですけどねー)660ccダイハツ号は出発です。

シマダスに飲み屋100軒とうたわれる厳原の町も一歩「川端通り」を外れると、こんなお地蔵様があったりで旅情を誘います。
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24号線をぶっ飛ばして(越後屋の運転)ゆくと「おお これぞ正しいニッポンの夏休み」てな光景にも触れることができました。

ついでに対馬交通バスの時刻表 渋谷から新橋まで3-4分に1台は来る都バス橋94系統なんかに乗りなれてる僕には、正に目が点の運行本数でありました。
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やってきました「美女塚」!
先に写真撮影をしてから碑文を読んだ二人は唖然!!
「ヤな女だね~」!!!

その悲しい物語とは、、、
昔、豆酘の天神山の麓に鶴王というそれは美しい孝行娘がおった
その評判は都に伝わり采女(うねめ)として召し出されることとなった
老母を残して旅立つ鶴王は迎えの輿をこのトンモト山で止めさせ、役人におしっこがしたいと言って
藪の中に入り舌を噛み切ったそうな
息絶え絶えに言ったのは「美人に生まれた故にこんな悲しい死に方となった 今後は豆酘には美人は生まれない事を祈る」
と言って息絶えた

おいおい 豆酘の女はみなブスか?
そりゃ悲しい物語だけど、こりゃ鶴王の呪いだなぁ、、、

ま、そんなこんなで南島を一周して、まだ日も高い6時から旅館で夕食、今夜は名物「いしやき」で海の幸。
ak10ap09.jpg ak10ap08.jpg タコさんが立ってるの判りますかね?





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メシの後のお約束ごと、スナツクの開店を待って川端へ繰り出す凸凹組であります。
厳原は一人3000円が相場と旅館で聞いているので、安心です。


旅程二日目

対馬は要塞とツシマヤマネコの島 美女の呪いは昨晩のスナックねえちゃんできっぱり忘れ、本日は北島を探索すべしとの命令一下、偵察隊は北島へ北上。
国道382で万関橋を渡ると、確かに手堀りで開削したかの様な水路が眺められました。
これなら当時の砲艦でも今のミサイル護衛艦でも島をぐるりと回わらないても対馬海峡から朝鮮海峡へ抜けられますから、軍事的価値はとても高いです。
民主党のバカ共がいう、外人参政権なんかが実現したらこの島はあっという間に朝鮮に乗っ取られるな。

まず現れてくるのは東京には絶対無い公安委員会の標識。

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赤ランプまで付いてるってことは、ヤマネコさんが出てきたら点灯するんだろうか?
それとも離島振興予算の消化?

上対馬町にはいり海岸線で、東郷閣下がやっつけた露海軍ナヒモフ号から引き上げた大砲を発見。
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島の最北端 豊の砲台跡に登れば、大正時代の戦艦の主砲を流用したという豊砲台の遺構が真っ暗な口を開けています。
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うーん 大和級の主砲だったら朝鮮まで弾が届くかもなぁ
でもあの頃はウチのものだったから、プサン港を撃つ必要ないわなぁ、、、
私が両手を開いて立っている上部に砲塔の旋回輪の環が収まるんですが、しょぼデジカメのレンズでは表現できません。
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sak10ap15.jpgそして本当の 我が国最西北端の守りはこの自衛隊レーダーサイト。
ちともやっていたので、49.5キロ先の朝鮮まで見えなかったのは残念でしたが、今日も働く自衛官の皆さま ご苦労さまです
と、敬礼してきました。


我が家のネコは機嫌が悪いとガブリと来るんですが、こいつなら安心と あごの下をこちょこちょしてやって記念撮影。
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帰路には峰町で温泉につかったり、海岸で海女さんを撮らせてもらったり、、、
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ははは 大ウソです! この写真は昭和初期 旅館に掛かっていたのを写しました m(_ _)m

旅館 と書いてますが、この厳原の丸屋ホテルさん すぐ裏が市役所なんで朝っぱらから「今日はハローワークでサラ金相談がありまーす」なんてスピ-カーの大音量が聞こえてはきますが、とても家庭的ないい宿でした。
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で、今夜はいり焼きと呼ばれる鍋料理を頂いたらまたまた川端へ出撃。
今夜の店はママさんとお手伝いさんだけのこじんまり
常連さんの釣り船船長さんと仲良しになって3人でカンバンまで盛り上がっておりました。
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旅程三日目


いささか二日酔いでも今日は帰るだけ。
昔の旅行に比べると、冒険がずい分少なくなりましたが まぁ還暦過ぎのじじい二人旅はこんなもんでしょう。
来年こそはメンバー揃っての旅行を期待しつつ機上の人となります。
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10.09.01 文責 林 秀一

 

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