エクセン物語

新分野への参入と、新生林バイブレーターの誕生

エクセン物語 第2章
第8話 : 新分野への参入と、新生林バイブレーターの誕生

 昭和50年代後半は、新たな分野への挑戦に取り組んだ。たとえば、昭和55(1980)年には、 6機種のコンクリートカッター。昭和58(1983)年には切れ物シリーズとして、 ダイヤモンドドリルも6機種販売開始している。これらは、既存の営業所販売網、 工場を利用してできる、バイブレーター以外の建設機械を、との目的で開発されたものだった。 しかし、なかなかコスト的に難しい面があり、その時の経験が、後の中国工場立ち上げの きっかけのひとつとなった。
 また、昭和58(1983)年には建築用高周波振動モーターのキツツキを開発。こちらは当初の 営業こそ苦労したものの、次第にゼネコン各社からの高評価を得て、ヒット商品となった。
 一般産業分野において、物体の充填や流出、運搬、選別などに振動モーターを応用。 フィーダーや振動テーブルをはじめ、閉塞防止のためのブラスター、ノッカーなどにも 参入を果たした。

 建設業界における、需要の流れも変わってきた。これまで大手ゼネコンや下請け業者が 機械を購入して保有したのに対し、急激にレンタル化されていったからだ。営業先は レンタル会社に変わると同時に、価格競争が激しくなってきた。
 そんな中、昭和33(1958)年以降、生産部門を林製作所、販売部門を林バイブレーターとして 独立採算制の事業部体制としてきた会社の形態を変更。経営の効率化、社員の意思統一を 図ることを目的に、昭和63(1988)年に、両社を統合。林バイブレーターとした。 創業から76年親しまれてきた林製作所の名は、ここに幕を閉じた。

 林バイブレーターへの社名統一した年、社内に若手社員中心の、CIプロジェクトチームが発足した。 目的は、新たな企業理念、ブランド名やシンボルマークの検討である。そして生まれたのが、 現在の社名であるエクセン=EXENだった。振動を発生させる源である「偏芯」「突飛な」 「奇抜な」などの意味を持つECCENTRICと「卓越した」、「優秀な」という意味のEXECELLENTと を元にした造語である。

 激動の昭和を歩まれた第124代裕仁陛下のご崩御で時代は平成となった。 平成元(1989)年、草加工場に新技術研究棟が完成。振動応用技術専門メーカーとして、 インバータ高周波電源や小型エンジン発電機、新型カッター、床掃除用スイーパー、 機械清掃用ショットクリーナーなどの新製品を次々に開発していった。 販売網も、東京北、盛岡、長野に営業所・出張所を開設。福利厚生面ではハワイなど 海外への社員旅行を行うなど、企業として順風満帆な成長を続けていた。
 平成3(1991)年、林バイブレーターから、新ブランド名としていたエクセンに社名を変更。 さらに発展してゆこうという矢先に、二代目社長の義郭が本社からの帰宅直後に脳梗塞で倒れ、 急逝。それを受けて、副社長として腕を奮っていた秀一が三代目社長に就任。 また新たなエクセン物語が始まるのである。