エクセン物語

三代目林秀一の入社

エクセン物語 第2章
第6話 : 三代目林秀一の入社

 昭和40年代後半、草加工場はこれらの新製品の生産と改良に対応すべく忙しい日々が続いていた。 刻々と変わりゆく各種の工法に対応するため、新たな生産ラインも充実させる 必要性に迫られ、昭和48(1973)年に第二期工事として、大型クレーンを設置した 特注工場、および第二研究室を建設した。

 昭和49(1974)年、大学卒業後、広島の協力会社で修業を続けていた、 林秀一(三代目)が林バイブレーター取締役企画部長として入社。 ここから数年は、短いながら、新旧三代の社長が揃った時期だった。 林製作所社長として初代茂木、林バイブレーター社長の二代目義郭。 そして三代目の秀一。それぞれの個性を発揮しながら会社をけん引していく。

 とくに三代目の秀一は、これからはコンピュータの時代であるとの信念から、 大胆にオンライシステムの導入を提唱。全社員を巻き込みながら、 改革を進めた。詳細は第三章でご紹介するが、当時としては画期的なことだった。

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 試練もあった。この時期、世界経済は第一次オイルショックの波に揺れ、 大型公共工事が軒並み凍結されたからだ。おかげで、昭和49(1974)年度の売り上げは、 大幅な減少となり、週に2度ほど生産を休んだ日もあった。当然、 協力会社に発注する加工品もゼロに近い状態となるが、「協力会社さんを1社たりとも つぶしてはならぬ」との社長方針により、あらゆる手をつくして耐え抜いた。幸い、 その後公共投資を中心とした景気浮揚策がとられ、業績もV字回復! 暗い時代を 乗り切ることができた。

 この頃、草加工場ではグランドを利用した大運動会を開催している。社員とその家族、 総出で和気あいあい、にぎやかに盛り上がったのであった。

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