エクセン物語

HIB、軽便、バイバックの開発

エクセン物語 第2章
第5話 : HIB、軽便、バイバックの開発

 前章で触れた、電気式ダム用バイブレーターのHIBは、昭和43(1968)年にHIB130として 世に送り出され、好評を博した。従来のダム用バイブレーターがエアーを原動力とし、 寒冷期には排気口が凍り回転が落ちてしまったのに対し、電気式は周波数を高くすれば 回転数も容易に上げることができ、分解整備もしやすくなった。
 昭和44(1969)年、埼玉県草加市に生産部門を移転したと同時に、業務拡大のため 林バイブレーター東京支店を設置。大阪出張所を支店に昇格させると、翌45(1970)年には 林バイブレーター名古屋出張所/九州出張所/広島出張所、47年に札幌出張所/仙台出張所を 開設。生産、販売、サービス、あらゆる面できめ細やかな全国展開を進めた。
 出張所の開設ラッシュの背景にあったのは、生産体制の充実はもちろんのこと、 中小現場向けの軽便バイブレーターを開発・販売を始めたことが大きかった。 それまで主流だった、大手ゼネコンとの取引と違い、地域密着でセールスやサービスを行う 必要があったからだ。
 大型機械もこの時代に新製品として出している。とくに注目を浴びたのは、昭和47(1972)年に 世に送り出した、バイバックVB-2/3だった。これはダム用バイブレータのHIB130を ブルドーザーの排土板に搭載した「ブルバイ」と呼ばれる過渡的な試作機から発展した。 油圧バックホーのブーム先端にバイブレーターを取り付けた大型機械で、第1号機は群馬県 草木ダムの現場に納入された。

esimage2-5a.png その威力は絶大! 従来は人力で5~6人を要した打設が、ひとりのオペレーターのみで 一気に行なえる画期的なものと評された。その後、すぐにバイブレーターそのものも電気式から 油圧のHIB150Hを開発し、品質・能力・機能、共に安定したダム打設の唯一の商品として、 国内市場では独占。諸外国からの引き合いも増えた。バイバックは当時も今も、 会社を代表する製品であるといえよう。
 ただし、その開発は容易ではなかった。バックホーメーカーになかなか相手にして もらえなかったからだ。なんとか一社(早崎鉄工所)にお願いし、バイブレーターを 取り付けられるようバックホーを改良。まだ締固めしていないコンクリートの上を、 安定して走行させること。締固めのための振動で、バックホー本体がコンクリートの中に 沈み込まないよう試作を重ねるなど、ようやく第1号機を完成させたのであった。 それが現場で活躍するようになり、さらに大きく、本格的なものを作ろうじゃないかと 他メーカー(ユタニ重工)からも声がかかるようになり、日立建機など大手メーカーとの 共同開発に至って、現在のバイバックに発展していった。
 草加工場はこれらの新製品の生産と改良に対応すべく忙しい日々が続いた。 刻々と変わりゆく各種の工法に対応するため、新たな生産ラインも充実させる必要性に迫られ、 昭和48(1973)年に第二期工事として、大型天井クレーンを設置した特注工場、お よび第二研究室を建設。
 翌49(1974)年には、広島市の建機販売店様に修業に出ていた三代目(現)の林秀一が 取締役企画部長として入社。新たな風を吹き込むのだった。