エクセン物語

HV型バイブレータの開発

エクセン物語 第2章
第3話 : HV型バイブレータの開発

 昭和35(1960)年、池田内閣が打ち出した所得倍増政策と高度経済成長が重なり、 国内での大型工事は急増し、コンクリートバイブレータの引き合いはさらに増大していた。 会社はもう浜松町の工場だけでは生産が追い付けないと、大田区矢口にあった工場を買収。 新型の加工機械を導入し生産部門を移転。さらなる業務の拡大・充実を計り、 社内の組織を総務・技術・製造の3部門とした。

 そこで課題となったのは「いかに良質のコンクリートを作るか」であり、 現場ではより強力で使いやすく、堅固なバイブレータが要求され、会社もその要望に応えるべく、 新製品の開発研究に一丸となって取り組んでいた。

 すると、ある現場でダム用バイブレータ、1A型の中に、 音が異常に高いが強力な振動を生み出しているものがあった。不思議に思い分解してみると、 下部ベアリングのリテーナーが壊れ、ボールがない儘で外輪と内輪だけで回転していることで、 アンバランスウエイトとなり、さらに大きな遠心力となって強力な振動が発生していることが わかった。これをうまく利用する手があるのではないだろうか?

 社内ではすぐに各種の文献や特許関係を調査しつつ試作研究を進め、完成したのがHV型だった。 これは回転数の3~4倍の振動数を発生させる遊星式のフレキシブルバイブレータで、 モーター回転数3000~3600rpmで、1万~1万2000vpmの強力な振動を作りだすことができた。 つまり、従来のMF型などから比べると、モーターの回転数は1/3~1/4に減るわけで、 故障が減り、アフターサービスにかける労力も減った。また、シャフトと振動軸の間に 連結スプリングを用いる特許も取得。逆転防止装置の特許も合わせたところ 「素晴らしい画期的なバイブレータ!」と好評を博し、大手ゼネコン向けのシェアが 大幅に上がった。林製作所はこのHV型でバイブレータのトップメーカーとしての地位を 築いたといっても過言ではないだろう。
esimage2-3a.png おかげで、いくら作っても需要に追い付かない。新工場に引っ越し半年位はHVホース等を 1階から組み立て場の2階まで手渡し搬送をしていたが、受注台数の多さから労力、 効率が悪く、自分達で2階の一部を切り抜き1500角の鉄枠籠を作りチエンブロックで 上下させる荷物エレベーターを手作りして対応したほどだ。

 余談ながら、当時を知るOBによると、就業中の楽しみは、昼休みに多摩川の土手に出て キャッチボールや日向ぼっこをすること。そして、今も語り草になっているのが、 吉永小百合主演のキーポラのある町の撮影が近くで撮影されたこと。多くの社員が その美しさに見とれていた。