03年アラスカクラブ サハリン(樺太)釣り旅行
久々の更新です
さてナニが釣れたか?!
我がアラスカクラブ員も世の中の移り変わりと寄る年波の影響は免れず、会員Aは子育てに追われ(う~ん 55歳で幼稚園前の子供がいると、そりゃ大変だわ)、会員Bは父親の在宅介護と、まぁそれぞれに大変な山坂に差し掛かっておるのであります。
が! お代官様と越後屋コンビ こと会員C、Dは(実は01年にもロシア国探検を挙行しているのでありますが、この年のは内容が内容だけにHPで公開する訳にはゆかず、、、)今年も勇躍 樺太のサクラマスを求めて 7月某日 羽田を飛び立ったのでありました。
HISTORY
ご存知の通り、樺太は18世紀には島の南端に日本人が漁場を開き、文化6年(1809)には間宮林蔵によって測量が行われ間宮海峡、樺太(クリール本島)が特定されており、安政2年(1855)日露和親=下田条約によって日露両国の共同領有地となり、その後明治8年(1875)千島樺太交換条約によって全島が大日本帝国の領土となりました。
明治38年(1905)日露戦争勝利、しかし列強の圧力下におけるポーツマス条約によって北緯50度線以南が日本の領土となり、以後昭和20年の大東亜戦争敗戦を経て昭和26年(1951)サンフランシスコ平和条約によってその領有権を放棄させらるまで、「日本」であった土地であります。
WAKKANAI
しかしまぁ「北方領土奪還」に命をかけている訳でもないアラスカクラブ員は、まずは日本最北端、宗谷岬と稚内の旨いモノ、さらにできればスナックのママさんなんぞを目指して、樺太航路の起点である稚内へと降り立ったのでありました。
「びや~ 寒い!」 冷夏とは言え、半そでで出かけてきた我々を迎えた北の街は気温13度。
急ぐ旅でもないので、路線バスでまずは市の中心まで向かいましたが、むむむ 南稚内中心部には人通りはほとんどありませぬ。
当社の道北営業担当者が、出張者料金で取ってくれてたグランドホテルさんという名のビジネスホテルに旅装を解いて、タクシーをチャーターして、宗谷岬を手始めにまぁ一応観光名所を回ってみました。

稚内到着

目抜き通りにも人影なし

ここが日本最北端
さて日も暮れて、タクシーの運ちゃんやら商店街のおばちゃんやら、フロントのおねいさんから仕入れた情報を総合判断の結果、まずはホテルから2分のすし屋さんへ。

すし屋の親爺

絶品うに! 期間限定 利尻産

ま、こんな感じで飲み始め
正解、正解、大正解 ちょうど漁場が開いたところという利尻のウニ、たこの頭、地物の数々、さすがに芋の焼酎は在庫になかったですが、ムラサキうに と 蝦夷ばふんウニ の味の違いも堪能できてお値段は地元価格ですんで、一気に盛り上がってまいりました。
お次は飲み屋~ と親爺の情報でまずはすし屋二階のスナックAへ。
うむ、、、銀座だと「ママもビールでも飲む」なんて言うとそれなりのお値段が付いてきちゃいますが、ここいらはおビール500円。
カラオケ代もセットに入ってるみたいで、二人分の勘定をしても万札でお釣りたっぷり。
こりゃあいいやと、道路を渡って(しかし全然人通りはなし)スナックBへ。
お、いいね スナックBのママはお歌も上手でした。

スナックAのママ

スナックBのママ
この頃になると、いつもの「越後屋!お主もワルよのう」のおやじギャグも冴え渡り、お代官様と越後屋コンビはスナックCへと、明日の航海の安全を祈りつつ稚内の夜はふけてゆくのでありました。
つづく~
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